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曽我量深先生筆「佛様とは」特装版
【所蔵】東本願寺 ロサンゼルス別院
1956年1月21日筆
【額装仕様】
用 紙:越前鳥の子和紙
(継ぎ目のない1枚の鳥の子和紙)
印 刷:美術シルク印刷
額 装:木製枠 アクリルガラス
額 寸法:157.5cm×46cm
本紙寸法:122.5cm×30cm
曽我量深(そが・りょうじん)
明治8年 新潟県西蒲原郡円徳寺、富岡量導の三男として生まれる。
明治30年 新潟県南蒲原郡浄恩寺に入寺。曽我恵南の養子となり、曽我
姓となる。
明治32年 真宗大学(現・大谷大学)本科卒業。
明治36年 清澤満之主宰の浩々洞に入洞。
明治44年 真宗大学の京都移転に反対して就任、故郷に帰り、金子大栄
と親交を深める。
大正5年 金子大栄の後を継ぎ、清澤満之が創刊した雑誌『精神界』の編
集責任者として上京。同年、東洋大学教授に就任。
大正14年 大谷大学教授に就任。
昭和5年 「如来表現の範疇としての三心観」が異安心(宗義違反)とされ
就任。同年、京都市左京区に金子大栄らとともに興法学園を設立。
昭和16年 真宗大谷派講師、大谷大学教授に復職。
昭和26年 大谷大学名誉教授となる。
昭和30年 渡米。
昭和34年 東本願寺侍薫寮寮頭に就任。
昭和36年 大谷大学学長に就任。
昭和40年 勲三等瑞宝章を受章。
昭和46年 逝去。享年95歳。
1956年1月21日筆
【額装仕様】
用 紙:越前鳥の子和紙
(継ぎ目のない1枚の鳥の子和紙)
印 刷:美術シルク印刷
額 装:木製枠 アクリルガラス
額 寸法:157.5cm×46cm
本紙寸法:122.5cm×30cm
曽我量深(そが・りょうじん)
明治8年 新潟県西蒲原郡円徳寺、富岡量導の三男として生まれる。
明治30年 新潟県南蒲原郡浄恩寺に入寺。曽我恵南の養子となり、曽我
姓となる。
明治32年 真宗大学(現・大谷大学)本科卒業。
明治36年 清澤満之主宰の浩々洞に入洞。
明治44年 真宗大学の京都移転に反対して就任、故郷に帰り、金子大栄
と親交を深める。
大正5年 金子大栄の後を継ぎ、清澤満之が創刊した雑誌『精神界』の編
集責任者として上京。同年、東洋大学教授に就任。
大正14年 大谷大学教授に就任。
昭和5年 「如来表現の範疇としての三心観」が異安心(宗義違反)とされ
就任。同年、京都市左京区に金子大栄らとともに興法学園を設立。
昭和16年 真宗大谷派講師、大谷大学教授に復職。
昭和26年 大谷大学名誉教授となる。
昭和30年 渡米。
昭和34年 東本願寺侍薫寮寮頭に就任。
昭和36年 大谷大学学長に就任。
昭和40年 勲三等瑞宝章を受章。
昭和46年 逝去。享年95歳。