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仏涅槃図 特別版
涅槃図 ──大乗仏教精神の発露── 竹林史博(曹洞宗 龍昌寺)
涅槃図は平安時代以来、涅槃会の本尊として宗派を問わず珍重され、千年以上の長きに渡って製作され続けている、いわば寺院必須の什物である。
昨今、その涅槃図が見直されている、という。生物学者は、江戸時代にはほとんど描かれることのなかったミミズ・クモ・ナメクジ等の絵に驚嘆、すでに百幅以上見たという研究者の話も聞く。さらに「絵解き」も静かなブームとなりつつある。数百年を経た重厚な画面、江戸の博物図鑑さながらの動物や昆虫たち。さらに、そこに秘められた数々の物語。そのいずれもが、電子映像にドップリの現代人の眼に、ことのほか新鮮に映るであろうことは、想像に難くない。
禅学の大家・鈴木大拙博士は「涅槃図は大乗仏教精神の発露」といわれる。大乗仏教でいう「衆生(しゅじょう)」とは、人間はもちろん禽獣、魚から、無情とされる樹木類に至るまでの一切を含む。菩薩は、それら一切を成仏させねば涅槃に入らない。「一切衆生に仏性あり」「草木国土悉皆成仏」と説くのも、こうした理由による。それゆえ、釈尊の入滅を悲しんで草木禽獣、昆虫までが声を上げて泣く──と。(『文化と宗教』一九三八.六)
つまり涅槃図に登場する多くの動物、昆虫等の姿は、大乗仏教の真髄をもっとも分かり易い形で、見事に表現し尽しているのである。
ところで北陸に長谷川等伯(信春・以下同じ)の画風を墨守する一流派のあることは知られていたが、その全貌は必ずしも明らかではなかった。しかし、この度、方丈堂出版よりその流派の原点ともいえる等伯筆涅槃図が、ほぼ原寸に近い大幅で再現されるという。もしそうなれば、広く世に流布する京都臨済宗大本山東福寺蔵の兆(ちょう)殿司(でんす)系涅槃図とは、一味も二味も違う、鎌倉時代より南都奈良で描き継がれてきた古格の画風が注目を浴びるだろう。涅槃図鑑賞の幅が一気に広がることは間違いない。また涅槃会の本尊としても、絵解きの際にも、申し分のない大幅寸法といえる。
そうそう、もう一つ、この等伯涅槃図には、涅槃図には描かれないという猫がうれしそうに(?)画面右端に侍(はべ)っている。おそらく等伯の身近にいたであろう約四百五十年前の猫である。当時の猫の絵としても珍しいが、この猫、涅槃図の猫伝説とも相俟(あいま)って、脇役ながら人気の的になりそうな気配である。
涅槃図は平安時代以来、涅槃会の本尊として宗派を問わず珍重され、千年以上の長きに渡って製作され続けている、いわば寺院必須の什物である。
昨今、その涅槃図が見直されている、という。生物学者は、江戸時代にはほとんど描かれることのなかったミミズ・クモ・ナメクジ等の絵に驚嘆、すでに百幅以上見たという研究者の話も聞く。さらに「絵解き」も静かなブームとなりつつある。数百年を経た重厚な画面、江戸の博物図鑑さながらの動物や昆虫たち。さらに、そこに秘められた数々の物語。そのいずれもが、電子映像にドップリの現代人の眼に、ことのほか新鮮に映るであろうことは、想像に難くない。
禅学の大家・鈴木大拙博士は「涅槃図は大乗仏教精神の発露」といわれる。大乗仏教でいう「衆生(しゅじょう)」とは、人間はもちろん禽獣、魚から、無情とされる樹木類に至るまでの一切を含む。菩薩は、それら一切を成仏させねば涅槃に入らない。「一切衆生に仏性あり」「草木国土悉皆成仏」と説くのも、こうした理由による。それゆえ、釈尊の入滅を悲しんで草木禽獣、昆虫までが声を上げて泣く──と。(『文化と宗教』一九三八.六)
つまり涅槃図に登場する多くの動物、昆虫等の姿は、大乗仏教の真髄をもっとも分かり易い形で、見事に表現し尽しているのである。
ところで北陸に長谷川等伯(信春・以下同じ)の画風を墨守する一流派のあることは知られていたが、その全貌は必ずしも明らかではなかった。しかし、この度、方丈堂出版よりその流派の原点ともいえる等伯筆涅槃図が、ほぼ原寸に近い大幅で再現されるという。もしそうなれば、広く世に流布する京都臨済宗大本山東福寺蔵の兆(ちょう)殿司(でんす)系涅槃図とは、一味も二味も違う、鎌倉時代より南都奈良で描き継がれてきた古格の画風が注目を浴びるだろう。涅槃図鑑賞の幅が一気に広がることは間違いない。また涅槃会の本尊としても、絵解きの際にも、申し分のない大幅寸法といえる。
そうそう、もう一つ、この等伯涅槃図には、涅槃図には描かれないという猫がうれしそうに(?)画面右端に侍(はべ)っている。おそらく等伯の身近にいたであろう約四百五十年前の猫である。当時の猫の絵としても珍しいが、この猫、涅槃図の猫伝説とも相俟(あいま)って、脇役ながら人気の的になりそうな気配である。